“6”だけが、僕らの正解

SixTONESのメモ帳💎

《田中樹》 10000字インタビュー全文

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Myojo 2020年9月号 一万字インタビュー

『僕がJr.だったころ』

 

コロナ禍の心境

ーようやく10000字インタビューの取材が再開できるね。その間、『TrackONE-IMPACT-』ができなくなるなど大変なことも多かったんじゃ

「デビューコンサートだし、何よりツアー途中までやっていたから余計に悔しいよね。本当に静岡、北海道で会えるのを楽しみにしていた人たちに申しわけない。でも、誰も悪くないことだからね。皆が行きたかったって思ってくれるように、俺らもやりたかったよ。ただ俺らの中で、まだツアーは終わってないんだよね。永遠にできなくなったわけじゃないし、きっとまたどこかで会えるって信じてる」

 

ー10000字の再開を願う読者の声も編集部にたくさん届いたよ

「期待度が上がってよかった(笑)意外とよかったこともあったりするんすよね。もちろんマイナス面が大きすぎるけど、プラスだってゼロじゃない。発売が遅れたセカンドシングル『NAVIGATOR』がデビューからちょうど半年後にリリースされることになったのも、巡り合わせのようなものを感じるしさ。会えなかった時間が愛を育むなんていうしね。会えなかった時間、自粛していた期間があったから、大切な人は誰かってこともよりわかったりはしたはずだから」

 

家族、幼少期について

ーじゃあ、さっそくインタビューを始めるけど、家族のこと大好きだよね?

「そうっすね。めっちゃあったかい家族なんで。ただ、いろいろうちは普通じゃないっていうか。この時代に5人も子ども育てるって大変だったはずで。いろんな面で楽じゃなかったと思う。だから、家族には感謝してもしきれない」

 

ー樹くんは、5人兄弟の四男。

「はい。兄弟が多かったからか、人の反応を想像するの昔からめっちゃ得意で。さいころから空気を読んでない感を出すのがうまかったんすよね。例えば、家族でお菓子を食べてて最後の1個が残ったりすると、延々と気をつかい合って譲り合いが始まったりするじゃないですか。そんなとき、俺は無邪気で無神経なふりして食べちゃうみたいな。気をつかわせてるって思わせた瞬間、相手はより気をつかうでしょ。それがイヤで。だったら“こいつはしょうがないヤツだ”ってなったほうが、みんな気をつかわなくて済むから

 

ー小さいころの夢ってなんだった?

「ガキのときは単純だったんで、なんか急にカッコよく見えて近所のスーパーの店員になりたかったり、医者のマンガを読んで医者になりたいとか、そういうレベルの夢や憧れはありましたけど、現実として思い描いてた夢ってのは特になかったですね」

 

ー野球、サッカー、陸上、水泳、バスケ……スポーツもたくさんやってたよね。

「うーん、今思えば、どの競技もどこか心から楽しいとは思ってなかったかな。この競技のプロになりたいと思ったこともなかったし」

 

ジャニーズ入所

ージャニーズに入ったのも憧れからではなく、お母さんが知らないうちに履歴書を送ってたんだよね?

「そう。とはいえ俺は目立ちたがりでもあったから、まんざらでもないというか(笑)チヤホヤされんじゃないか、テレビ出られるんじゃないかとか、そういう感覚でした。(菊池)風磨や(中島)健人とオーディションが一緒で。風磨は家のファックスが壊れてたらしくて、事務所からの連絡を受けるのが遅れ、入所は俺のほうが1週間早くなるというね(笑)」

 

ーJr.の活動はどうだった?

「最初は楽しくなかったです。ホント、部活みたいな感覚というか。部活自体はたいして好きじゃないけど、その後の部員同士で遊ぶのが楽しいみたいな」

 

ー入所直後、Hey! Say! JUMPのコンサートに出演してるよね。

「そこで(森本)慎太郎やきょも(京本大我)に出会ってるんすよね。ふたりがピンクの衣装着てたのをボンヤリ覚えてる。あー、でもコンサート自体は、すげーイヤだったな。入りたてて何もできない。踊りも歌も。このとき、ラップもやらされたんだけど当然ヘタクソで。できもしないのに、ステージに立つのがイヤで、すげー恥ずかしかった。仕事が楽しくなったのはホント最近です(笑)」

 

ー同世代のJr.の友だちが多かったのが続けられた理由だったんだね。

「ですね。家に遊びに来たり、誰かの家に遊びに行ったり。子どもだったんで、1対1よりも、みんなで遊んでました。ジェシーともよく遊んだ。ジェシーとはHip Hop JUMPを組んだときに出会ったのかな。ジェシーは口数少なかったんで、最初に会ったときの印象が薄いんすよね。遊んでても、思いっきり笑うこともなくてジェシーなりに何か考えてたんだと思います。Hip Hop JUMPで後輩と組まされたことに劣等感みたいなものがあったんじゃないかな。みんなと一緒にいても、楽しくないみたいな空気を出すことも多くて」

 

ー入所3年目の2011年、同期だった風磨くん、中島くんらがSexy Zoneとしてデビューしたよね。

「めちゃくちゃ悔しかった。もちろん俺よりB.I.Shadowだった(松村)北斗や髙地(優吾)のほうが悔しかったはずだけど。俺はあのとき、グループに入れそうな予感も予兆もまったくなかった。だから、なんで入れなかったんだってことより、“なんであいつらの方が先なんだよ”って悔しさだったな。正直、感覚的にはずっと“俺はジャニーさんがデビューさせたいって思うタイプじゃないな”ってのは感じてたから、ムリだろうなってどっかで思ってた。それでもすげー悔しかったんだよね」

 

青春だったバカレア

ーその翌年、のちにSixTONESを結成することになる6人でドラマ『私立バカレア高校』に出演する。

「楽しかったよね。北斗、きょもは学校も一緒だったから一緒に撮影に行ったりして、学校生活とドラマがリンクしてたっていうか。ドラマが終わっても『SUMMARY』のメイン公演を6人でやらせてもらって。何か男子高校生の青春っていうか、とにかく6人で用もないのにずっと一緒にいて。腹減ってないのに、とりあえずラーメン屋行って、くだらねー話で笑い合って。なんか、こんな日々がずーっと続くような気がしてた

 

ー『私立バカレア高校』は映画化もされた。大阪での舞台挨拶を終えた帰りの新幹線のエピソード、有名だよね。

「あー、3人シートを向かい合わせにして6人でずっとしゃべってたってやつね。バカレア組は作品のために集まったメンバーだったから、この6人で活動するのは二度とないみたいな気がしてね。気づいたら、牛すき弁当を食べながら6人で泣いてるっていうね

 

ー実際その後、バカレア組6人での活動は減っていった。

ジェシーと北斗、残りの4人みたいになったよね。悔しいけど、悔しくないふりしてヘラヘラしてたな。4人で“残り物”ってグループチャット作って連絡取り合ったりもして。ただ、自虐的だったけど悲壮感みたいなものがあったわけじゃない。確かに6人でやった仕事は楽しかったけど、バカレア組というくくりに執着していたわけじゃなくて。まだまだ全員テングだったしギラギラしてた。『バカレア』に出たことで、それぞれ知名度もある。“いけるだろ、俺!”って、6人それぞれ思ってたと思うんだよね」

 

ー「もう一度6人で」という思いはあった?

「あったよ。ただ、“もうムリだろうな”って。俺は一度、踏んぎりつけなきゃって心の中で諦めた。

 

人生のドン底

ーその後、SixTONESが結成されるまでの期間は、樹くんにとってどんな時間だった?

俺の人生をグラフで表すなら、バカレア後からSixTONESができるまでの2年間は、人生で一番ガーンって落ち込んだ時期かな。それこそ不貞腐れてたし、仕事も楽しくなかったしね。意地でも成り上がってやるって思ったり、なんで仕事を続けてんだろうってモチベーションを失いかけたりもして、揺れてた時期でもあった。ただ、事務所を“高校卒業したら辞めよう”とか、“二十歳になったら辞めよう”って頭では考えるんだけど、決断しきれずにいた感じかな」

 

どん底にいた樹くんを救ってくれたのは?

メンバーの5人ですねSixTONESが結成されたことが大きい」

 

ーグループ結成のきっかけは、ジェシーくんだったんでしょ?

「うん。Jr.カレンダーを6人で撮影することになって。ホント、シャイなジェシーらしいんだけど、突然、“ジェシーから伝言がある”って、なぜか髙地が言ってきたんだよね。“また6人でやろう”って。そこからは急展開。6人でジャニーさんに直談判したら、グループを結成してSixTONESって名前までつけてもらえて」

 

ー状況が一気に好転していったんだ。

「そうでもない。きっとほかのメンバーも、“もう一度6人で”って望んでたし、SixTONES結成はうれしかった。ただグループが結成されたからといって、最初から“絶対デビューしようぜ!”みたいなノリにはならなくて。最初の1、2年はギクシャクしてたかな」

 

ーそれはなんで?

「まだ腹をくくりきれてなかったんだろうね。そもそも、6人の意志でバラバラになったわけじゃない。この6人には未来がないって誰かが判断した結果バラバラになったと思ってたから。このグループで本当にいけんのかって、猜疑心がぬぐいきれなくて。ある意味、バカレアがトラウマになってんすよね。散々“デビューに一番近い”って言われ続けたのにデビューできなかった。“そんな6人がもっかい集まって大丈夫なのか?”って。ちょうど全員二十歳くらいで、歩むべき道を決めるべきタイミングでもあったから、最初はSixTONESにすべてを賭けきれずに手探りだった。6人でやりたい。ただ、この先に何が待っているのか見えなくて怖かったんだよね」

 

ー「絶対デビューできる!」って言うメンバーはいなかった?

「誰も口にしなかったな。“デビューできんのかな?”とか、俺ら集まったら意外とマイナスな話が多かったっすね。“デビューできる”って口に出すこと自体が怖かったというか。マジで集まったらグチや文句が多かった。だって最初、ホント味方がいなかったからね。当時、別のグループのファンから“SixTONESはマイク持たせてもらって恵まれてんじゃん”みたいな声も聞こえてきたんすけど、メンバーになったら俺たちの状況痛いほどわかるよって思ってた。マジで味方がいなかったからさ」

 

ーそうだったんだ。

「ただそれも当然で。俺らの素行に問題があったんですよ。『少クラ』に衣装じゃなくて私服で出たり、スタッフの制止を振りきってトリプルアンコールに出てったり。バカレアのトラウマで、みんなやさぐれてて、大人に対して不信感が強くて。アドバイスがアドバイスじゃなく命令に聞こえたんですよね。従ってもデビューできなかっただろって絶えず反発して。そんなんで味方なんかできっこない。まちがってたと思うよ。ただ、それでも必死だったのが伝わったのか、わかってくれる大人がポツポツ現れて。少しずつ味方が増えていったんですよね」

 

SixTONESに賭ける

ー樹くんが、SixTONESに賭けようって腹をくくれたのは、いつ?

「俺はグループが結成されたときに腹をくくったつもりでいたけど、それはSixTONESに人生賭けたというより、この世界でやっていくっていう決心だったんだなって思う。結成2年目くらいかな。少しずつファンの人に認知してもらったり、大人の味方が増え始めて、“あ、これいける。死ぬほどがんばればデビューできるかも”って思えたとき、本当の意味で腹をくくれたんだと思う。SixTONESに人生賭けよう。すべてを賭けようって

 

ー実際にデビューの予感がしたのは、いつごろ?

「意外と思わなかったです。先のことを考える暇がなくなったって言ったほうが正しいかな。少しずつ仕事がもらえるようになって、それこそ『ジャニーズJr.チャンネル』が始まったり。やらなければいけないことが増えていったんで」

 

ー2019年になると多くのファンはSixTONESのデビュー決定の発表があるのではと期待したよね。『CHANGE THE ERA-201ix-』の5月

1日、大阪城ホールでの公演。アンコール後にマイクを持って何かを言いたげだったように見えたけど?

「……あれは。今はまだ全部の答え合わせをしなくてもいいかな。それぞれの解釈でいいと思うよ。まあ“みんなまたね”って言おうと思ったら、ほかのメンバーが先に言っちゃったから別のコメントを考えてたってことにしておいてよ」

 

ーじゃあ、ついに昨年6月、ジャニーさんの病室でデビューを伝えられた瞬間、どんなことを思った?

「当たり前ですけど一番大きな感情はうれしい。デビューは通過点、必ず通らなければいけないポイントだと思ってたし、これからの道のりのほうがきっと険しい。それでも、やっぱり最初に思ったのはうれしいでした

 

ー同時デビューすることになったSnow Manに対しては?

「もちろん、競い合っていかなきゃいけないライバルです。ただ、俺はどうしても仲間、兄貴って感覚が強いんですよね。やっぱねえ、あんだけ一緒にいたし思い入れがあるんすよ。Snow Manの仕事は、だいたいチェックしてるし。元カノのインスタ見ちゃうみたいな感じ(笑)Snow Manが大きいライブ決まったりしたら、まずは“見に行きてえ!”って思うだろうし、がんばれって思うな」

 

ーじゃあ、『TrackONE-IMPACT-』の横浜アリーナでのコンサート、Jr.として最後のステージはどうだった?ダブルアンコール後、みんなで手をつないで、“俺たちがジャニーズJr.!”って叫んだときの気持ちを教えて。

「あの円陣、きょもが、“最後のわがままいい?”って言い出してやったんだよね。ほかのメンバーがやろうって言い出すのとはちょっとちがうというか。あのステージは、なんか卒業式みたいだった。卒業する寂しさもあるし、新たな一歩を踏み出す高揚感もある。ただ、あの円陣の瞬間、ひとつだけ俺は後悔があって」

 

ー後悔?

ジャニーズJr.の価値や地位を高めること、もっとできたんじゃないかって。俺はジャニーズJr.であることを誇りに思ってたから。だから今のJr.にも胸を張ってほしい。世間からはJr.っていうとデビュー組のバックダンサーみたいに見られることもあるかもしれない。でも、実際ジャニーズJr.になることも、Jr.でい続けることもスゴイことだから。最初はJr.であることどころか、アイドルであることを恥ずかしがってた俺が何を言ってんだって話なんだけどさ(笑)」

 

ー1月22日にリリースされたデビューシングル『Imitation Rain/D.D.』は、初週売上男性アーティスト歴代1位となる132.8万枚で初登場1位を獲得。KAT-TUNの『Real Face』以来14年ぶりとなるデビュー・シングルの上半期1位獲得など多くの記録を樹立したよね。

「もちろん喜びと感謝が一番デカかった。でも、俺はほかのメンバーとちがって性格悪いんで言っちゃっていいですか!?俺は“ざまあみろ!”とも思ったよ」

 

ーざまあみろ?

「俺ら、皆が想像する以上にボロクソ言われてきたんで。“デビューなんて絶対ムリだ”って散々言われた。でも、あんたらがバカにして鼻で笑っても俺はデビューできるって信じた。メンバーも俺のせいで散々言われた。“田中がいるグループで大丈夫なのか?”って。それでも5人は離れないどころか、俺を守り続けてくれた。その結果がこれだ!俺たち6人はデビューした!記録も作った!“ざまあみろ!”って。大人げないですけど、今もその精神っていうか。俺や俺の仲間をどうこう言ってたヤツら、全員後悔させてやる、見返してやるってのがモチベーションのひとつなんですよね」

 

ーじゃあ、信じ続けてくれたメンバーに、今伝えたいメッセージはある?

「メンバーに!?特にないよ。そういうの個人的に言うから(笑)」

 

メンバーへ

ーじゃあ、メンバーそれぞれとのエピソードを教えてよ。まずは北斗くん。

「うーん、今、北斗とはメンバーの誰よりも仕事の話をしますね。MCについてグループ内で、今日はあれ話そう、これ話そうって事前に決めないんですけど、北斗とだけは時間配分とか細かく決めてる。仕事に関して、これどうしようって相談されたり一番連携取り合ってます」

 

ー北斗くん、樹としか話せない時期があったって言ってたよ。それっていつ頃のこと?

「わかんないし、興味ない(笑)。俺は、人とのつき合いって、今は誰と誰の関係がちょっとこじれてるとかって気にしない。だから何?俺には関係ないしってタイプ。俺とそいつが築いてきた関係がある。それはほかの何かには邪魔されない。北斗がメンバーとしゃべりづらいってときがあったのかもしんないけど、俺は別にどうも思わない。北斗対俺。あいつが心を閉ざしてるって感じた瞬間は、俺には一切ないよ

 

ー次に京本くん。

「きょもは高校2年のときに転入してきて席が前と後ろで。俺、友だちは多かったけど、素でいられる人ってあんまいなかったから、きょもといる時間は、すごい楽だったな。屋上で授業サボったり、宿題忘れてふたりで怒られたり、ろくな思い出はないけど(笑)。そのころから、きょもはいい意味で俺の思考とは全くちがう人だった。何もかも真逆。これはメンバー全員に言えるけど、きょもを信頼してるしリスペクトしてるから、言ってることを理解はできないけど、きょもが導き出す結論には納得できる。こいつにだったら賭けてみようって思えるから

 

ー次は慎太郎くん。

「ガキんときからホントずっと遊んでたからなあ。プライベートで遊んだ時間は一番長いだろうね。何だろうなあ。なんか合うんすよね。男臭くて。でも、きっと多くの人は慎太郎を誤解してて、メンバーでいちばん繊細なのは北斗じゃなくて、俺は慎太郎だと思ってる。なんかねえすっげー純粋だし、いろんなことに敏感なんだよね。じつは気にしいで。今、その繊細さがグループとして良い方向にだけ作用してるんですけど、あんまムリしすぎんなよって思うかな」

 

ー髙地くんは?

「髙地とはね、使う駅が一緒だったんで、ふたりで舞台終わりに高架下の中華屋によく行ったのが思い出。髙地は聞き役に回ることが多いっていうか、聞き上手。ジェシーが“もう一度6人で”って伝言を、ほかの誰かじゃなくて髙地に託した理由もなんとなくわかる。あと俺ら全員での誕生日プレゼント交換ってしないようにしてるんだけど、俺と髙地だけは毎年やってんだよね。もう何年前かなあ!?髙地と“このクルマが欲しいんだよね”って雑談してたら、あいつ覚えてて、そのクルマのミニカーを誕生日プレゼントでくれたのが始まり(笑)。それ以来、お互いふざけたテキトーなプレゼントを贈り合ってる。で、“誕生日なんだから、今日くらいは飯おごれよ”ってラーメンとか食べに行く。髙地とふたりでいる時間、俺、なんか好きなんすよね」

 

ー最後にジェシーくん。

「出会ったころから、口下手だしシャイなのは変わんないすね。でも、誰がどう見てもSixTONESのセンターはジェシー。今、グループの大事なことはメンバーで話し合いをしても、最後は全部ジェシーが決めてるし、決めさせてる。俺らはちっぽけなプライドが邪魔して、“もう一度6人で”って切り出せなかった。でもジェシーはそれを言った。正直、最初はSixTONESとしての未来に疑心暗鬼だったけど、あいつは最初からSixTONESを信じた。今だって、みんなSixTONESのこと大好きだけど、その気持ちはあいつが一番強いと思う。だから、このグループの舵を取る権利も義務もジェシーにあると思ってる。ある意味、俺はずっとジェシーの補佐でいようって思ってるかな

 

愛情を注いでくれた人への恩返し

ー樹くんはメンバーだけじゃない、先輩にも後輩にも好かれてるイメージがあるよ。

「俺とか風磨は先輩に好かれないタイプなんすけどね。昔から仲良い後輩は、PrinceとかTravis Japan宮近海斗中村海人とかかな。まあ、おまえら俺を慕うなんてバカだな、もっといい先輩は沢山いるだろって思うけど(笑)そうはいっても、かわいいんすよね。後輩スキルが高いっすよ。ほどよく懐に入ってくる感じとか。King & Princeがデビューして、絶対あいつらのほうが稼いでんのに、俺、カニのコース料理とかごちそうしましたからね。岩橋(玄樹)が二十歳になったお祝いはフグに連れてったんですけど、なぜか神宮寺(勇太)と宮近も来て。鍋を頼んだら、俺は一切れしか食べなかったのに、支払いはウン万払いでしたね」

 

ーハハハハハ。先輩や同期は誰と仲がいい?

「また込み入った話になるけど、いろいろあったとき、俺から距離を取るってのが、賢い選択だったと思うんだよね。実際離れてった人もいたし。だけど、河合(郁人)くん、桐山(照史)、二階堂(高嗣)くん、風磨、もちろんメンバーは離れるどころか一歩踏み込んで“大丈夫だぞ”って言ってくれた。今、親しくさせてもらってるのは、あのとき、手を差し伸べてくれた人たちばっかです。当たり前ですけど、愛情をかけてもらった人には愛情がわくんです。ここまで来んのに一番愛情をかけてくれたのは親だし、兄弟だし。この事務所に入って一番愛情を注いでくれたのはメンバーであり、ファンであり、ジャニーさんで。辞めるべきかなって悩んでるとき、ジャニーさんが“関係ないじゃん。 YOUはYOUだよ”って言ってくれたこと忘れられない。俺は愛情をかけてくれた人に、少なくとも注いでもらった分だけの愛を返したいから、それ以外の人にかまっている時間も余裕も義理もないというかね」

 

ーもっとも愛情を注いでくれたひとりが両親だよね。デビュー、喜んでくれたんじゃない?

「もちろん。だけど、秘密にしてたのにデビュー決定を発表する前に感づいてたらしいんすよ。ふたりともしたたかなんで、前からママには“樹がデビューしたら銀座で買い物させてね”って冗談っぽく言われてたし、デビューが決まったら急にパパはクルマを買って半額請求されたりとかさ(笑)」

 

ーハハハハハ。

「俺がジャニーズに入ってから仕事に関して親に“がんばれよ”以外のこと言われたことって一度しかないんですよね。俺が高3のときだね。まあいろいろあって、俺、初めて高校をずる休みしたんです。精神的にきつくて。俺自身ショックだったし、クラスメイトどころか先生だって俺が弟なこと知ってる。行けなかったんすよね。周囲からなんて言われるだろうって考えたら。次の日、さすがに行かなきゃと思って玄関を出るタイミングでママに、“辞めたかったら辞めていいんだよ”って一言だけ言われた。それ言われて心が軽くなったよ。同時に気をつかう俺の性格から“あ、これ辞めらんねえな”って(笑)その一度だけ。親に、仕事のことについて何か言われたのは」

 

ー樹くん自身は今、どう思ってる?

Jr.になった瞬間、高い下駄を履かせてもらって。その後、足を引っ張ったなんて思ってるかもしれないけど、そんなハンデなんかより最初にもらったアドバンテージがよっぽどデカイ。気にしてないというより、感謝しかないかな。まあ、“辞めたら終わり。俺は絶対辞めない”ってムリして乗り越える必要のない壁を乗り越えてきた気もするけどね(笑)」

 

ー以前のインタビューで、「辞めたら終わり、俺は絶対辞めないと決めてた」って言ってたもんね。

「当然、それぞれの人生だから、どんな道を選んだっていい。でも、“人生何度だってやり直せる”なんて言葉は、俺には何かを極めることを放棄した弱虫の戯れ言にしか聞こえない。俺たちグループはいろいろあったけど、もちろんそれは、ほかのグループやJr.にもあったはずで。うまくいかないときだって、わかってもらえないことだってある。俺は“辞めようと思う”って報告されたことも何度もあって。その度に俺はずっと“お前らバカだ!”って言い続けた。たとえ今、納得できないことがあったとしても、辞めなければ、いずれやりたいようにできるようになる可能性は残される。でも、辞めたら積み上げてきたもの全てが無になるんだぞって。そう言い続けても、引き止められなかった仲間を俺は大勢見てるからね」

 

team SixTONESで どこまでも行こう

ーデビューから半年が経過。これから個人的に叶えたい夢はある?

「個人的には音楽を追求したいかな。いつか一時の流行じゃない、ブームじゃなくて文化になるような、スタンダードな音楽を作れたらって思う」

 

ーずっと努力は嫌いだって言い続けてるけど、入所直後のラップと比較するまでもなく、樹くんが、今日までどれだけ努力してるかわかるよ。

「今だって努力は嫌いっすよ(笑)。ラップは趣味なんで。趣味を仕事としてやらせてもらってるだけ。好きなものにかける時間も熱も努力とは呼ばないと思うんですよね。必死じゃなくて夢中っていうか、好きなことをやってるだけだからさ」

 

ーじゃあ、グループの夢は?

通過点として、これとこれとこれは絶対に成し遂げようってものはあります。そこへ辿り着くための計算もしてます。でもゴールはない。SixTONESが目指すのは、スターになるってことだから。何がスターか、スターをどう定義するかって曖昧じゃないですか。だからゴールを明確に設定できない。ただ、あくまで本業はアイドルだから、ベースは歌って踊ること。そこは絶えずスケールアップさせていきたい

 

ー最後に樹くんの10000字インタビューを、心待ちにしていた読者にメッセージを。

「よく言うんですけど、俺はファンをファンだと思っていないというか。ステージに立つ人と、それを応援する人って感覚じゃないんだよね。チームSixTONESってよく言うんですけど、SixTONESへの愛情を持った人が、それぞれ自分ができることをやって、グループを大きくしていくってイメージなんだよね。俺らができることは俺らがやる。俺らができないことはファンが、スタッフがやる。結果、SixTONESが大きくなっていく。メンバーとファンの関係はSixTONESに愛情を注ぐという点においてフェアであり対等だと思ってる。もちろん去年はデビューしたら、テンポよくポンポンとステップアップしていけると思ってた。でも、コロナという予想外のことが起こって、頭の中のシナリオ通りにはいかなくなった。でも、これをピンチだとは思わない。エンターテイメントはなくならないし、だってそもそも俺らは、ファンのみんな以外に誰にも期待されないところから始まってるからね。きっと、チームSixTONESなら、このグループを、今まで見たことないスターにできるって信じてる